南斗聖拳には108の流派があり、その中でも特に代表的な流派を「南斗六聖拳」と呼び、多くの人々の信望を集めていました。
その南斗六聖拳の中に、「仁星」と呼ばれた戦士、シュウがいました。
仁星とは、その字のごとく人々を助け、決して人に悪事を働かないこと、人の命や財産を奪うのではなく、守るために生きよという教えを表す言葉です。
この仁星のシュウが、その名にふさわしい生き方をしたことで、多くの人々の尊敬を集めることになります。
ここでは、シュウが「仁星」と呼ばれる5つの理由について、ご紹介していきます。
Contents
1.他人のために生きる…シュウが仁星と呼ばれる5つの理由とは?
シュウは、南斗聖拳の中でも南斗白鷺拳の使い手です。
南斗聖拳の中でも、足技を中心とした技が多いのですが「烈脚空舞」「南斗烈脚斬陣」など、変幻自在の足技を主体としていて、手刀などによる攻撃が多い南斗聖拳の中では異色の流派といえます。
そんなシュウが、仁星と呼ばれるにふさわしい理由は、どのようなものなのでしょうか?
①自らの目をつぶしてまでケンシロウの命を救ったから
ケンシロウとシュウは、ケンシロウが修行中のころに初めて出会っています。
まだ少年時代のケンシロウは、修行の一環として北斗と南斗の他流試合である「南斗十人組手」に挑んでいたのです。
この「南斗十人組手」は、1人にでも敗れてしまうとその場で殺されてしまうと言う厳しい掟を伴う修行でした。
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ケンシロウが修行に挑んでいる様子を見て、ケンシロウの潜在能力を認めたシュウは、自らが組手の10人目の相手として名乗り出ます。
ですが、成人のシュウと比べて、少年だったケンシロウが太刀打ちできず、ケンシロウはシュウに敗れてしまいます。
立会人であったラオウ、それにサウザーは、即刻ケンシロウを処刑しようとしますが、それを止めたのはなんと対戦相手であったシュウ。
掟にしたがって処刑されるはずだったケンシロウを「私は敗北する姿は見ていない」と言って、シュウは自身の両目を潰し、立会人のラオウとサウザーに助命を求め、彼らもシュウの行動に驚き、ケンシロウを助命します。
この時、ケンシロウが命を救われていなければ、世紀末救世主伝説は始まらなかったのですから、世界平和も訪れなかったかもしれません。
②戦いにおいて卑怯な策略を講じなかったから
北斗の拳に登場する戦士たちは、時に拳の力以外の力を使って、自分の勝利をつかみ取ろうとします。
例えば同じ南斗六聖拳のユダは、同じ南斗六聖拳のレイと戦う時に、南斗水鳥拳が駆使できないように、あえてダムを決壊させて水上での戦いを強いるという、卑怯な手段を講じています。
北斗神拳でいえば、ケンシロウにとって最低の兄であるジャギは、ケンシロウに殺されかけたことを恨み、それ以降南斗孤鷲拳のシンをたぶらかしてケンシロウを襲わせる卑怯な手段を講じます。
ジャギの場合はその後も卑怯さがエスカレートして、武器は使うしダイナマイトを抱えて相手を脅すし、とにかく卑怯なことばかりを行います。
挙句の果てには、あの北斗神拳の使い手でありながら、南斗聖拳を見よう見まねでコピーして、ある程度使いこなしてしまうありさま。
ここまでの卑怯さ、戦士として言えば「クレバーさ」とでも呼べるものは、戦いの世の中を生きていくために必要だったのかもしれませんが、シュウにはこのような要素は一切不要でした。
シュウは卑怯な行動を決してしませんでしたし、そもそも戦いという行為の意味が、他の戦士たちと明らかに違っていました。
他の戦士たちは、人々の命や財産を奪うため、あるいは世の中を支配するために戦いを繰り返しましたが、そのような乱暴な行為から民衆を守るために、シュウはその拳を使い、戦ってきたのです。
シュウによって多くの人々が命を救われたことは、まぎれもない事実です。
③善の戦士であり続けたシュウ…多くの人々の命を救ったから
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シュウは、やがて人々を守り、暴力で支配されて苦しんでいる人々を救い出そうと、レジスタンスを結成します。
シュウの目の前には、世界征服と言う野望を遂げようと暴虐の限りを尽くす、同じ南斗六聖拳のサウザーが立ちはだかります。
むろん、同じ南斗の男として、悪の限りを尽くすサウザーを倒すべく、シュウは戦いを続けます。
そもそもシュウは、南斗六聖拳の中で終始善を貫いた人物です。
隠し通していたレジスタンスのアジトがサウザーの軍に発見されてしまった時、シュウは、ケンシロウに代わりサウザーへ戦いを挑みます。
それは、見つかってしまったアジトで恐怖におびえている民衆を助けるために、シュウが取った最善の行動だったのです。
目の見えない自分が果たしてサウザーに勝つことが出来るのかとか、そのような計算はせず、とにかく民衆を助けるために、シュウは自発的に行動したのです。
このような行動の中で、多くの民衆の命が救われていったことも事実なのです。
④息子シバも…親子そろって身を犠牲にするほどの仁星だったから
サウザーは、自らを「聖帝」と名乗り、自らの支配を堅固なものとするために、力の象徴として巨大な建設物「聖帝十字陵」を建設中でした。
実はこの「聖帝十字陵」建設のために、サウザーは多くの労働力を必要としたことで、多くの成人をとらえ、人手が足りないと分かれば子どもたちまで連れ去って、聖帝十字陵の建設に駆り出しました。
それを防ぐために、シュウはレジスタンスを結成し、サウザーの横暴を止めようとしたのです。
そこに現れたのが、かつてその命を助けた北斗神拳の男、ケンシロウでした。
ケンシロウこそがサウザーを倒せる唯一の男だと確信したシュウは、ケンシロウにすべてを託しますが、秘孔が効かない特殊体質だったサウザーにケンシロウはほんろうされ、一度は敗れてしまいます。
そのケンシロウを救出したのが、シュウの息子であったシバです。
追ってから逃れようとしたケンシロウとシバは、いよいよ追いつかれそうになった時、ケンシロウだけを逃がし、シバは追ってもろとも自爆して果てます。
息子シバの死を「仁星の息子たるにふさわしい」と褒め称えたシュウは、自らがサウザーの暴走を止めようと決意します。
⑤人々の代わりに我が身を犠牲にしたから
シュウはついにサウザーのもとにたどりつき、一戦交えようとします。
しかしここで、サウザーは策略を講じ、捕らえていた女や子ども100人の命をちらつかせ、シュウが十分な力を発揮できないようにしてしまうのです。
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その結果、シュウは足の筋を切られて敗北してしまいます。
戦いに敗れたシュウに対してサウザーは、女や子どもたちを助命する代わりに、シュウ自らが聖帝十字陵の建設のために人柱になるように強要します。
女や子どもたちが除名出来るならと、言うことを効かない足を引きずり、シュウは聖帝十字陵の頂上に、重い石を背負った状態で進みます。
ようやくケンシロウがシュウのもとにたどりついたとき、既にシュウは聖帝十字陵の頂きにたどりついたところで、シュウはケンシロウに自らの思いを託します。
その様子を見ていたサウザーは、感傷の舞台など不要と槍を投げ、シュウはその槍に貫かれてしまいます。
その時、奇跡的にシュウの視力が回復し、念願であったケンシロウの成長した姿を見る事ができ、安どの表情を見せるシュウ。
「乱世にあまねく光をもたらせ」とケンシロウに伝えたシュウは、背負っていた石につぶされて絶命し、ここに聖帝十字陵も完成してしまったのです。
人々のため、そしてケンシロウのためにシュウは最後まで自らの身を投じ、命を賭けて「仁星」たるにふさわしい生きざまを見せたのです。
まとめ
正直なところ、みなさんは、シュウの生き方をどのように思いますか。
最近の世の中を見れば、自分のことだけしか考えてない生き方の人も多いですし、自分さえよければいいと、他人を策略に巻き込んで苦痛を与えたり、自分だけが得をすることを望む生き方の人も多くなりました。
そんな人たちにとって、シュウの生き方がどのように映るのか、私自身は大変興味があります。
ただの無駄死にじゃないかという意見もありますが、人々の心に「仁星」を見せることが出来たシュウの、どこが無駄死にと言い切れるのでしょうか。
むしろ、自分だけが満足すればいいと、自己中心的に生きていった人たちの方が、人美の心に何も残すことが出来ない、むなしい生き方ではないでしょうか。
アニメや漫画作品と甘く見るのではなく、時にこれらの作品から教えてもらうことも多々あることを、この機会にぜひ実感して欲しいものです。
特に北斗の拳でいえば、仁星のシュウに学ぶべきところは大変多いはずです。
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